すぐに好きなことに向き合うことを忘れてしまう。
Twitterに毎日のすきなものを投稿しても、Instagramのストーリーズになんとなく友達との日常を投稿しても、日常の渦に飲み込まれてどこかにいってしまうような。
たまには、こんな感じで立ち止まって夏から秋にかけてのこと、ごちゃまぜに話してみようかと思います。
フランスに親友が飛んでしまった。飛ぶ前に、バースデーキャロットケーキを作って家に持ってきてくれた。暫く会えないというのにいつも通り互いに化粧もせず、適当な格好をし、軽く手を振って、自転車に乗る姿を見送った。
自転車を飛ばしていける距離にいても、半日時間のちがう、わたしの行ったことのない国にいても彼女はいつも通りだと思う。わたしもいつも通り。でも、ちかくにいても、毎日会うわけじゃなかったくせに、いないってだけで、随分さみしい。
決断の思い切りのよさ、見ているこっちがすがすがしい。そして、それをどんどん自分のものにしちゃうところ。じゅえはこうするから、私は置いていかれてチャンスを逃すんだろうなと頭の片隅でよぎって苦笑い。私も、置いて行かれないようにしないと。話に、フランスに行くから、言われなくても元気だろうけど、あっちでどうかお元気で。
近所の町中華でたらふく食べた後、真新しいお店が出来ていた。
覗いてみたら素敵な九谷焼のお皿を見つけた。白久谷というらしい。私は、お皿やコップ、特に陶器をよく割ってしまう。お気に入りだったSUNSHINE + CLOUDのHASAMIのマグも割れてしまった。それでも、奥底にしまいこんだり、買うのをやめたりしない。使うから、美しいんだと思う。使ってはいるものの、まだプチトマトと、焼鮭、卵焼きしか乗せていない。
何年も飽きずにヌードネイル。ネイルファンデーションを塗って、スーパヌード。マニキュアってこんなに楽だったっけ?ちょっとのお手入れだけで満足できる。やっと少しだけ引き算できてる?アイメイクの引き算やジュエリーの引き算はできず、じゃらじゃらゴールド、跳ね上げのまま。こういうところで、足し引きしよう。
2014年。性格がずいぶん違うクラスメイトと意気投合。
かつては真剣に眉間にしわを寄せて永延に一緒に悩んでいた。(現在考えると、どう考えてもくだらない呆れる話)
SNSに疎い友達のTwitterのIDにはふざけて2020をつけた。
意味もなく、ただの遠い未来、大分お姉さんになったその頃にオリンピックがあるからという適当でなんでもない理由で。
2020年をあっというまに通り過ぎ、2021年。25歳。遠い未来より先にきてしまった。
突然会いたくなり、思い出して、2020のID探すも見つからず。こんなこともないなと思いながら、連絡。
"きなみはわたしのこと忘れてるかと思ったー!!"
相変わらず、わたしもあなたも変わっていないですね。
"そういうと思って、一生連絡こなさそうだから連絡したよ"
横浜の郊外、駅まで向かう帰り道。教室の端っこの右から二番目の席。そんなところにいたのに、渋谷で乾杯。ゲラゲラゲラ、お互いあのころと同じベクトルのままちょっと変わったけど、私たちの関係は、変わらない。一緒に大人になんなくても、どっかで、交わって、その時までの話。
おいしいお刺身を求めて、晴天の三崎口。
在宅勤務をしていると、休日の晴天のありがたみをより一層感じる。お刺身を求めてというより、晴天だから外にでなくちゃ。
悩めばひとりでコーヒを持って海。誰かと遊ぶなら海。泳ぐなら海。花火を見るなら、海。お刺身を求めたらそこらへんで。そういう風にずっと生活してきた。大人になったら海が遠く、こんな贅沢なものだと知った。海に行ってないくせに、ビーサン焼けで満足してしまう、ちょっとダサい大人になってしまいました。
季節が逆の南太平洋、言語もカルチャーも違うが、同じ頃同じように生きてきた彼氏と、かみしめる。海風。こっちにはサーモンだけじゃなくて、マグロも鯵もおいしい生しらすもありますね。今回はこちらの海で過ごしましょう。
外は気持ちいい。そこらへんで猫ちゃんがたくさん昼寝していた。猫ちゃんが気持ち良く過ごせるこの季節が何十年後になくなりませんように。わたしがそのために出来ることは割りばしや、袋をもらわないことくらいか。ゴミは持ち帰る。微力すぎる。でも、"ダサい"ひとには、ならない。
re/doneデニム(いろいろ履くけど最近はmother買った)、テロテロのjames perseやNili Lotan, Tenのドレス、Vansや、ゴールドのダイヤモンド(Hirotakaのイヤーカフを無くした)、色は白や薄いブルー、ネイビー、黒。Totemeのコートや、cocaのリブニット(プチプラ。980円もう5枚持っている)、デミリーのニット。自分のベーシックになりうるものを集めるよ。自分のベーシック集めって響きいいよね。だからちょっと大人になっても着れそうなものを手入れしながら長く着ていく。これをもって海を越える。覚悟を服に吹き込んでいる。
親友に、きなみみたいだよと言われたエッセイがある。向田邦子の夜中の薔薇に入っている手袋を探すというエッセイ。
"気にいった手袋が見つからなくて、風邪をひくまでやせ我慢を通した22の冬以来、“いまだに何かを探している””
衣食住が自分なりの好みで満ち足りていないと、精神までいじけたさもしくなってしまう人間なのです”
”いやな自分をどうしたらよいか考えました。""反省するのをやめにしようーと”
”ほしいものを手に入れるためには、我慢が苦痛が伴う”しかし、自分の我がままを矯めないでやっているのだから不平不満も言い訳もなく精神衛生上大変いいことを発見したといえます”
随分同時にいろんなことに手を付けているカオスな親友にあったとき、わたしは現実と、「夢」と「理想の世界」の間をグラグラしていたように思う。とにかく、現実を見て、幸せになるにはこうあるべきだ。とぐだぐだと語り、そんなんじゃないと思うけど。とぴしゃっといわれた。
好きな生活やモノや理想が、いろいろあって、それが相反していることがどうしようもなくイヤだと思える時期があった。"ラーメンがすきなじぶんと、ラグジュアリーなホテルに行く自分"”仕事を頑張って、大都会で大成したい自分と、そうでもなく自然の中でのんびり人と比べずに生きたい自分”が相反していることが受け入れられない。ここから抜け出すにはどちらかになるべきだ、と。狭間にいたまま、何にもなれないような、何にもなりたくないような。
そういう風に考えることをやめた。好きなものを手放さず、しがみ付いて我がままを矯めない。不平不満も言い訳もなく、苦痛が伴っても好きなものを集め続ける。さようなら、柵の中の自分。私は、砂浜、でVansを履いても、マノロブラニクを履いたって問題ない。家系ラーメンを啜りながら、カルティエミニパンテール(ダイヤギラギラ)を付けていても、お金はなくたって、小さい家に好きなものだけ抱えて、幸せになっていてもいい。
どうでもいいけど、不朽の名作 ボヴァリー夫人を読んだ。じめっとした話。あの湿っけた話をベッドで読んでいたら夢にまで出てきて、夢まで湿っけてしまった。それで、もっとあの話が嫌いになった。わたしは、風通しよく単純人間でいいや。夢に嫌なヤツとして出てきたら、嫌いになり、夢にかっこよくでてきたら、好きになっちゃうような、現実にもそれを持ち越す浅はかな人間でいい。それだけで、かなりボヴァリー夫人よりは幸せになれる。
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