わたしのことは手を抜いて幸せにできない

 

 

 

 

 

 

終電間際の新橋を歩いていれば、酔っ払いがわたしに声をかける。「もう1軒行きたいと思って。どうですか」だなんて、寂しいひと同士で集って夜を過ごしたら良い、わたしには必要ない。バッタリ運命のひとに出会うかもしれないし、それがいま逃したご縁だとしても、なんでもいい。「寂しい」からってわたしに声をかけてくんな。わたしは、たった一人で新橋を歩いていようが、イルミネーションを一人でボーッと眺めていようが、たったひとりで土日をソイラテを飲みながら過ごしてようが、わたしはさみしくない。

 

 

9000km離れた遠い場所に、季節も違う場所に彼氏がいる、もう遠すぎる。帰りの飛行機は遠すぎることを実感したくなくて、ひたすらに寝た、およそ10時間、ぶっ通しで寝た。泣きまくったら、欠航でもしてくれるなら、わたしは息が止まってもいいかと思うほどに泣ける。ひとりで泣いていたって飛行機は飛ぶ、どうせわたしの止まらない涙は、じぶんで拭きとらなければいけない。もう何度目だろうか、なんども空港で数ヶ月ぶりに会い、なんども空港で別れた、もう10数回はこれを繰り返した、繰り返せば繰り返すほど、に慣れない。空港にいくまでをカウントダウンすることを絶対にやめられない、なんどもウェブでdelayしていないか確認する。荷物は、ギリギリまでパッキングできない。往復チケットを買うくせに、なんども無駄にしようと、考える。帰り道のオークランドはいつだって、わたしの住む横浜よりずうっと綺麗に感じる、シティがどんどん小さくなっていけばいくほど、わたしの家路に近づいていく。それでもあと1日はかかる、絶望的に遠い。

 

 

絶望的に遠い場所で過ごす彼氏がわたしのことを思い出さないように、しているという事実は日本にいるわたしが、感じる寂しさの中で一番大きいものだった、新橋にいる声をかけてくる男の人たちを蹴り飛ばして、ひとりで、ヒールを鳴らしてトレンチコートを羽織って、冬の日本の澄んだ夜道を歩くことなんでぜんぜん平気だった、クリスマスはダメージを受けそうになったけれど、手をつなぐカップルを見ようがわたしはバイトに行ったし寝る間を惜しんで、勉強し、インターンを受けた。師走、だった、わたしは12月を誰よりも駆け抜けていた

 

よく遠距離をしていると訊かれるコツ、相手のことを忘れている時間が多いほど遠距離なんて、楽だってこと。会えない相手に思いを馳せたってどうせゴミにしかならない、届かないんだから、気持ちがもったいない、相手を思って空を見たって、空は繋がっているだけで同じ空は、見えない。テカポという世界で一番星空が綺麗な街に訪れた時に、はじめて南十字星を見た。わたしの住んでいる場所の空では一生見ることができない。はじめて見る南十字星は、わたしが南の果てにきてしまった、途方もない距離を際立たせた。ただ、わたしたちはそんなに合理的に生きられない、だからこそ、「相手に忘れられている事実」は少なくともわたしを、横浜で、「寂しくさせること」ができる。

 

 

じゅうぶんお互いのことは知り得ている、2年間遠距離をしていて、どういうルーティンで相手が暮らしていて、何時頃なにをしている、って検討はつくようにもなった、会わないのだから、要件なんてもちろんない、時差は、駅について一生懸命電話するわたしのことを待ってはくれない。向こうはもう深い夜。わたしが夜更かしした日には、もうあの、おっそい朝日がのぼり始めている。なにもかも噛み合わない場所で生活しているから、なにもしなければどんどん忘れていく、どんなに好きなひとでも、3ヶ月も会えなければ、顔も声も忘れてしまう、だんだんこれが薄れていくことが途方もなく恐ろしく感じる。わたしは、忘れることが楽だと知っていても、忘れることが怖いから、忘れられない

 

そして、忘れないように書くし、忘れないようにどうでもいいラインをしようとする。忘れないように、周りには迷惑なくらい吹きかけた香水の匂いを嗅ぐ。

 

 

わたしは、忘れなくたって、好きだという気持ちがたとえゴミのように溜まっていったとしてもそれを片付けて、前を向かうことができる。そうでもしないとひとのことは幸せになんか、できない。ひとのことをどこかで想う気持ちが自分にとって、無駄だとしても、それは相手にとってのすべてである。わたしは、それをわかっているからこそ、そうする。じぶんが、泣けるほど会えない事実が苦しかったとしても相手が、想われてなかったと悲しむことは、辛い

 

わたしのことは楽しては幸せにできない。

「遠距離をするのがラク」だと言われた時、一瞬ですべてが、枯れ果てたような、気持ちになった。ぶああっと土が乾ききるような、出ていた涙なんか、蒸発してしまうような、そういう気持ちになった、その「ラク」はわたしの努力の賜物だった、その全部はわたしが一人で決断をし、ひとりで、涙を拭って、ひとりで、あなたが、寂しくないように送り続けたおはよう、の結果なのに じぶんがラクをしようと思ってやってきたことも沢山あった、遠距離が余裕だ、と言っていた2年4ヶ月前のわたしには、もう戻れなかった、わたしは、時が経てば経つほど、遠距離ができなくなり、待つことが息苦しくなり、そう、空港での別れを考えるだけで、泣けるようになったから。

 

彼女だからって、ラクしていいなんて言っていないし、手を抜いてなんて言っていない、なめてる。じぶんのラクは相手のつらいが表裏一体になっていることを理解できないひとと、誰も一緒にいる必要なんてない、じぶんが幸せだから、といって、相手が幸せとは限らない。いつか、必ず相手を突き刺す、時がくる。忘れることが一番の解決策だとしても、そればかり、選んでいってしまってはいけない。誰もラクをして、思いやる相手のことを幸せにするなんて出来ない。そして、じぶんは、幸せになる価値がない人間では決してない。だからこそ、強く、生きなくてはならないし、自分の価値をじぶんで主張しなくてはいけない

 

わたしのことは楽して幸せになんてできない、わたしのことを手を抜いて幸せにできる、だなんて思ったら甘い 手を抜いて、幸せにできるひとといたいなら、いればいい。わたしは絶対にそこからは動かない。簡単には、ならない。想わなくたって、表面上の気遣いだけで、わたしのことが幸せって言ってくれると、思ったら飛んだ勘違い、ベストの状態で、相手に向き合わなければ、最善な最高な関係など、生まれてはこない。

 

わたしは、彼氏のこと、いちばん幸せにしてあげれる、って思う。なにか、つらいことがあれば、一緒に考える、それがわたしを苦しめようが、痛みをおうことだとしても。でも、わたしも一緒にいるのなら、世界でいちばん、幸せにしてもらわないと、わたしは一緒にいる意味がない。

 

強く生きないと、いけない。じぶんの幸せはじぶんで値段、を下げてはいけない。じぶんの、価値を勝手にないもの、だと自分で見積もって叩き売り、してはいけない。わたしたちはだれしも、世界で一番幸せだと、思う権利がある。それは、相対的ではないかもしれないけれど、絶対的に感じることのできる権利、であると思う。

 

わたしは人生を取捨選択して生きていきたい。100パーセント納得しながら生きることは難しい。でも納得して生きるため、の努力なら惜しまない。来た道を後悔して、戻ることのほうがもっと難しい。取捨選択するためにわたしたちは様々な可能性を見ていかなければならない。可能性をしるには知識をつけるしか、方法がない。怠れば、じぶんの思うじぶんの幸せを取っていくには、遠回りすぎる。わたしの人生、はそんな遠回りできるほどの、時間は用意されていない。だからこそ、一緒にいる、相手の取捨選択も手伝いたい、それはわたしにきっと、なんらかの影響をあたえる。先のことはわからなくても、いま、現在、影響を受けることは間違いない。ひとの人生の時間も浪費していけはいけない、横にいるひとの人生も、わたしたちに、使われていい時間なんて用意されてない

 

 

ひとの人生を幸せにして、じぶんが幸せ、になる覚悟はできている、だからわたしは振り払って、じぶんのことを「安く」みてくる新橋で出会うひとたちに、自分の値段を貼り付けて、かき分けて、電車に乗る。

 

 

いつも、ほんとうにありがとう、youre the best as my parter, as my best friend,love xx

 

 

 

 

 

Kinami

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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May 25, 2020