Times are tough but I am tougher

 

 

 

最近、いろんなことが目まぐるしく起きる。私にっていうよりは人の話を聞くと毎日、目まぐるしく状況が変わっていく

 

私に関していうと、私はもう半年以上彼氏に会っていない。会っていないから何も進んでいないし、むしろ退行している気もする。

一緒に住んでいたし、毎日会っていた。24時間以上いたって気にならない、そばにいる誰かが、とるに足らないくらいな存在なのに、何にも覚えていない。顔も、写真で見てもイマイチだし、連絡する用もない。お互いの暮らしに全く関与していない。匂いがどうだ、こうだ、色々と覚えていたのに忘れていく。人ってこんなに覚えていたいものすら、半年もたてば忘れる。忘れちゃいたくなくて繋ぎ止めていられるように、試行錯誤も繰り返したけど、時間に比例して、どんどんと忘れていく。もはや、言い方は悪いけど、気力で好きなようなもの。きっと、何千キロ離れた場所にいる冬の寒さを耐え凌ぐ彼氏も、言語化はしていないと思うけど、同じように、もしくはもっと忘れているだろう。と思う。

 

肌にせっかく覚えこませた体温をどんどんを自身で、冷えないように温めてなんていたけれど、さようなら。一緒に食べたラーメンの味をついに覚えられなくなった、さようなら。多分、どんどん手放していったほうがいい。賞味期限の切れた、美味しい神戸牛を持っていても、何にも美味しくない。私たちの記憶は、冷凍して、解凍だなんていうややこしい作業は通せない。

 

ーこんなあっさりしたことをつらつらと書き連ねることができるのは40日後には、いろんなことが思い出せるから。成田空港に迎えにいった2年前を今でも思い出せる。横浜駅のバスターミナルに到着時刻に遅れないように走ったこと、夏の匂いがする日、夕方、なんども髪の毛やメイクを直して、緊張しながら待ったこと。ーもしくは横浜駅で散々泣いたことも思い出せる。翌週には、ニュージーランドで会えるというのに、私は駅で号泣してた。次、日本で会う日なんか来るのかな。と思いながら。違う国でうまくいかなかったら、きっと私のホームでは会うことはないんだなと。随分メンヘラなマイナス思考な女だなと思いつつ。そのくらい、一歩一歩を慎重に、進んでた。

 

今度は、私たち、日本、ここ東京で2人で生きることになるなんてね。誰も想像しなかった、私も想像しなかった日がようやくくる。もう時はすぎて20歳の時に出会ったのに23歳になってしまった。きっとこの3年間は一緒に大人になってきた。随分、大人になったから相手に影響され、私が影響を与え、ここから大人な人生のこの先に、何かしら互いの存在が、影響をもたらすこともあるだろう。私は、きちっとラップをすることを2度と忘れないのは、なんどもなんども怒られたからだし、きっと家系ラーメンをすする度に彼氏は私のことを思い出す。

 

 

"人と暮らす"ということがどういうことか、今日は書きたい。

"ただの恋愛"が"ただじゃすまない恋愛"に変わって、"ただの好きな人"が"色々な基準をクリアした好きな人"に変わっていく。関係は複雑化する。たとえ、ご飯の趣味が100パーセント同じでも、いただきます。ごちそうさまを片方が言わないだけで、人は価値観が合わないとか、うんざりとかいう。連絡を返さないだけで幻滅される。案外難しい。

 

私は人が他人であり、身内でもないことを忘れたくない。彼氏だから、自分と近しい、だなんて違うんだよね。仲良い友達だから、お母さんだからも違う。多分全員違う人。自分のことのように人を扱うな。っていう話。で、自分のこともちゃんと扱えない、めんどくさい人が多い。そういう人は、自分のことを正しく扱えるようにならなくちゃいけない。自分のことを正しく扱えない。というのは、自信が足りてないな、人に愛されて、自分のことをやっと承認できる人。

 

 

最近、よくツイッターとか、あとは普段話してるとどうしたら自信ってつきますか。って言われることある。私は自信ありそうに見えるんだと思う。(なくはない)

 

「私が素敵だと思うのは、自分のことをちゃんと自分で選んで、行動しているひと。服でも髪型でも、友達でも、仕事でも将来でも、何でも。そういうひとは、べつにイケメンでなくても、いい顔をしている。そして、絶対にかっこいいおじいさんになるの。」-この言葉をみて、そうそうって思った。

 

私は、自分に責任をとって選択をして生きている、そしてその結果に満足するように、その結果が満足になるように、努力はしている。人の生き方、見た目、オーラ、全て選択の連続。選択の積み重ねが自分っていうものになるのかな〜なんて思ったりする。だから、時にはハッタリだけど、きっと生きやすそうに見えるし、きっと私は生きやすい。自分の選択のしないものや、人に囲まれたりしない。ちゃんと捨てながら、考えながら、選んできたから。もちろん、1度や、2度の過ちも、もしかしたら数えきれないミスもある。でもその積み重ねってたかだか数十個なんかじゃない、生きてるうちに選択してる回数なんだから何億回、それ以上、かも。母数を増やすこともできる。だから、きっと、それは、誤差になったりもする。選択って、本当に大事。簡単なものなら、どこで、誰と、何して生きるか。なんか大きい選択。でももっと難しいのは、毎日の言動や、毎日の行動。これが積み重なって、簡単な質問への回答があらかた導き出されるよね。

 

身内のように、横にいる人をこうであるべき。だとか、自分の彼女。ってパートナーとかを紹介する時に下げて話している人の多さに、最近ちょっと驚く。人は他人、好きなんだから敬意を払って、リスペクトを見せる方がきっといい。一緒にいる相手を自信満々で紹介できない、その人の責任のなさに私は結構びっくりする。一緒に生きている人は常に、対等で、同格であること。そこは男女とか、年齢とか、関係ないんじゃないのかなって思うな。そういう、なんとなくの固定概念に、とらわれて、そういう建前、とかを気にして、本当に、向き合っている人が少ないんじゃないのかなって思う。私は、好きな人、友達を自慢だと、紹介したいし、自分もそうされたい。女だから、家事をして、だなんて言われたくない。23歳だから、できないだなんて、いうなよって。

 

 

人と暮らすって簡単だけど難しい。毎日は、選択の連続でふとした時にその、一緒にいる選択をやめちゃう日も来る。

そうやって、昨日は尊い日だって、踏みしめて生きていくには、やっぱり一つ一つ、丁寧に選んでいかなきゃいけなかったりするのかな

愛とか、好き、とか気を使うこととかって、みんな、無料で無限なものだって思ってたりする人多かったりするけど、それって全然有限だからね

温泉から、湧き出るように、そういう感情は出てこない。"好き"だから"気を使える"だなんて、全然間違い。

好きでも気を使いたくない日も、好きでいたくない日もある。だから、ちゃんと感じて、感謝しなくちゃいけない

毎日、電話越しでありがとう、好きだとかいう好きが、本当かなんてわからない。自分で言っていてもわからないこともある。でも、その振り絞った有限の好きは、電話越しのその人の、いい夢をみる材料にもなる。自分のために、いう好きもあってもいい。でも、地獄を見ている、そのよこの人が苦しい時に、使ってもいい。

 

感情だけに左右されて、気持ちを伝える、って浅はかでつまらないね、もっと人を幸せにするためにも言ってみて欲しい、私は言いたいな

もっと人が心地なるような、選択をしたいなら、もっと自分のする選択が心地よくなるような選択をしたい

 

タイミングやいろんなことが合わせって、他人と向き合う時間が作られたりする、もっと、研ぎ澄まして、感謝をしようと思う。

 

 

 

もっと、丁寧に、生きていこうかな、もっと自分も幸せになっていいかも もっと、そして周りの人にいい影響を与えたいな

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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